うまい鮨勘 安積支店

店長 栁沼行彦さん

古くから交通の要衝として栄えた福島県・安積町。明治期には猪苗代湖を起点に約130㎞に渡り引かれた水路・安積疎水が安積町、そして後の郡山市の発展に大きく貢献しました。官民一体となって延べ85万人の人々が協力し合い、わずか3年というスピードで成し遂げた偉業。その大元を支えたのが、安積に住む人々の大いなる開拓精神だったのです。生まれも育ちも安積という栁沼(やぎぬま)行彦さん。二十歳をわずかに超えたばかりの若き彼の中にも、現状のみに満足せず、常に高みを目指そうという気概があふれていました。

ライバル店にいたからこそ見えた、『うまい鮨勘』ならではの個性と魅力

「以前から料理人を志し、地元の寿司店で働いていました。後になって思えばその店は、『うまい鮨勘』のシステムと少し似ていました。鮮魚を扱う店を母体に、大量に仕入れた魚介を一手に捌き提供することで、高い質と安さを実現する、という。しかし私が22歳の時の『うまい鮨勘』は、宮城だけでなく都内や東京近郊にも出店し、店舗数を飛躍的に伸ばしていた頃。2005年5月にはとうとう安積にも支店ができ、その活気や勢いは傍から見ているだけでも目覚ましかった。実際、自分がいる店と比較して売上金額などを類推しても、ものすごいわけです。そのパワーの源を知りたい、料理人としても、もっと新しいことに挑戦したい。そんな思いで『うまい鮨勘』の門戸を叩きました」

寿司職人としての基礎を積んでいた栁沼さんは即採用となり、入社とともに即戦力として活躍、わずか4ヵ月後には主任、そして翌2006年の4月にはキッチンマネージャーへと昇格します。 「正直に言うと、入社以前は“そうはいっても『うまい鮨勘』も回転寿司だろう”と高をくくっていた部分もあったんです。それまでに自分がいた店で培ったものだけで十分通用するだろう、と。しかし、入社してみてその印象は大逆転しました。魚を捌くにしても、仕事を施すにしても、握るにしても、そこに掛ける手間と技術のレベルがものすごく高かった。でも、『うまい鮨勘』に入るまでほとんど握りに携われず、追い回しの仕事が主だった自分に、当時の支店長が声を掛けてくれたんです。「この店で一番忙しいこのカウンター席を、お前、やってみるか」って。「このカウンター席を担えるようになったら、これだけの給料をやるからな」って大きく期待をかけてくれて。それからはもう、支店長の仕事をすべて自分のものにしよう、と必死でした。ちょうど子供が生まれる時期だったこともあり、“やってやろう”と大きく発奮してましたね」

それにしても栁沼さんの成長の度合いには目覚ましいものがあるけれど、との問いに、「支店長自らやって見せてくれ、やらせてみせてくれたから。ものすごい貴重なマンツーマンの指導でした。もちろん、できるだけ早く期待に応えたくて、自己練習も随分しました。とにかく毎日入荷する魚の量が多いですから、開店に間に合うように捌き切るだけでも相当な鍛錬が必要。その上で、よりおいしい寿司を提供するだけの技術が必要となるわけですから」と栁沼さん。『うまい鮨勘』の人材教育・人材登用は、それぞれの店舗の気風や店長の持ち味、そして人材それぞれの個性に重きを置いたスタイルで行われます。だからこそ、それぞれの店舗にはどこか家族的なあたたかさが漂い、スタッフたちものびのびと仕事に向かっているのでしょう。

異動、新店舗の立ち上げに積極的に取り組む向上心

2009年、栁沼さんは更なる大きな転機を迎えます。『うまい鮨勘』の中でも高い売り上げを誇る「泉中央支店」への異動です。
「同じグループ内での異動とはいえ、安積と泉では客層もニーズも異なる。新しいチャレンジは是非もないことでした。最初は予想以上の忙しさに圧倒されましたが、この現場で鍛えられた成果をいつか福島の店にも採り入れてやろう、という将来観みたいなものが芽生えたのもこの頃でしたね」
栁沼さんの働きは大いに認められ、翌年には会社創設の地である石巻にオープンする『うまい鮨勘 石巻支店』の立ち上げに副支店長として携わり、すぐに支店長を任されるに至ります。 「支店長として店に立つようになって、改めて“店はひとりでは成り立たない。スタッフ全員の力があって初めて、店づくりができるんだ”ということを実感しました。支店長になりたての私を支えてくれたのは、アルバイトの学生さんからベテランの職人さんまで全員です。お店にとっていいこと、お客さんにとっていいことを一人ひとりが考えて、そのアイディアを口にしてくれたり、提案してくれたりする。そういう店が、自分にとっても理想だな、と思うんです」

人づくり、店づくりの根幹は地域とともに歩むこと

そしてあの東日本大震災も、栁沼さんは石巻支店で経験します。 「最悪の状態を想定しての危機管理と、地域や地域の人のために自分に何ができるかを考えて行動に移すことを、あの震災から学んだと思います。アミノという会社がどんな風に復旧・復興に協力し、地域に想いを掛けているかということも目の当たりにしました。今また私は故郷である安積に戻り、支店長を務めていますが、安積のために何ができるか、ということも常に考えています。人材の育成もやっぱりそうした地域貢献に繋がるもの。以前、会長から伺って忘れられない言葉があります。“チャンスはみんなにやる”。ステップアップやキャリアアップの機会はアミノで働く全員に平等に与えられるもの。そのチャンスをものにするかしないかは、本人次第だ、と。自分も、中途採用でありながら寿司もまともに握れない状態で入社した人間です。負けたくなければ、家族を笑顔にしたければ努力しなきゃ、という一念でした。そうした努力を見逃す上司や会社じゃない。必ず誰かが見ていて評価してくれる。だから頑張れるんです」

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